転勤族として育ったせいか、新しい環境への適応力はそれなりにあるつもりです。
自分の変化の刺激を求める性格は、育ってきた環境とそれを作ってくれた両親からのプレゼントだと思っています。(まぁ飽きっぽい性格とも言えますが。)
ただ大学生活での色んな経験を通して、それだけじゃダメなんだと感じ始めています。
同調する自分
小さい頃からあちこち連れまわされた自分にとって、新しい環境下で新しい人間関係を作っていく能力は必須でした。
特に小中学のころの自分にとっては、転校していった先でうまく人間関係を作っていけるかどうかは死活問題だったからです。
そんな中で自分が(知らず知らずのうちに)身につけた人間関係を作る最大のスキルは、「人を否定しない」こと。
とりあえず人と同調していれば他からズレることもなく、環境に溶け込むことができます。
実際、今までの学生生活は特に(いじめとか)トラブルもなく過ごしてくることができました。
でも、それだけではマズいのではないか
というのも、人に同調するというのは案外楽で、自分の中で物事をかみ砕くプロセスが省略できてしまうからです。
深い知識や論理というものは、人と意見を戦わせるときに初めて形成されてくるものだと思うわけです。
だからどこまでも「同調する」スタンスを取り続ける癖がつくと、そういった深い所にはたどりつけなくなります。
例えば、数値で語ることは「人に同調する」中では特に必要とされませんが、人を説得しようとすると必要になってきます。
「北海道ってダメダメじゃん」って言われて「あーそうかもね」ってへらへらしてるんじゃなくて、「北海道の食糧自給率は200%近いんだぞ、食糧自給率が1%の東京のほうがダメダメじゃないか」って言える自分でありたいわけです。
そしてそういう姿勢でいれば論理力は自然に身に付くし、自分に必要な情報も分かってくるのではないか、というのが今の考えです。
要するに「人の意見を変える」経験が少なすぎる
多分日本人全般に言えることだと思うのですが、人を否定して意見を述べる、ということにあまり積極的ではないと思います。
少なくともインド人に比べれば「空気を読んで」「周りに同調する」ことに対して美徳を持っている感はあります。
それはそれで好きなのですが、ビジネスの現場になるとそうも言ってられない気がするわけです。
経営判断としてYesなのかNoなのか、GoなのかWaitなのかは決断しなくてはいけないわけで。
そのために、ベストな判断をするためには違う意見のすり合わせと対立が必要になってくると思います。
「お前の言ってること全然違うよ」って言われることにも慣れていない
自分が尊敬するような人の前で当たり障りのないことしか言えないのは、否定されるのが怖いからです。
自分の意見が否定されることで、まるで自分自身が否定されているような気分になることがあります。
それからさらに自分の意見が出せなくなるという悪循環を生む可能性もあるわけです。
少なくとも自分の意見を否定されることに対するタフネスは必要だな、と思います。
ちょっと話がそれますが、自分は現実と比べてtwitter上では自分の意見を述べやすいと感じています。
自分なりに分析をすると、文字制限ゆえに「逃げ切れる」からという理由があるのではないかと思います。
否定されるのは怖いが自分の内面の考えを表に出してあげたい、という欲望にちょうどいい。
長々と自分の意見が書くわけではないため否定されても逃げ道があるし、面と向かって否定されることはない。
ということで
人と意見を戦わせられる人になることにしました。
違うと思ったことは積極的に否定します。
で、がんばってその理由を説明することにします。
これから社会人と話す機会も増えると思いますが、ここぞという時には意見を戦わせたいものです。











